18回目を迎える「下栗ふれあいまつり」のziiziの記憶 

  11月2日(日)18回目の下栗ふれあいまつりがおこなわれます。8/31に実行委員会の立ち上げがありました。次回の会議(実行委員会)を10/1と決めて各団体での取組の詳細を決めていきます。アトラクションの出演者やテントでの売店などの概要が決まり、告知チラシが作成されます。

さて、「下栗ふれあいまつり」の第1回目を開催したのは、1998年9月21日でした。林道御池山線(現在の南アルプスエコーライン」の全線開通で「しらびそ高原」とつながりました。下栗を何とかしようという当時の区長の提案でというか、熱い言葉で、慎重な意見や後ろ向きな重鎮の意見を撥ね退けてぐいぐいと進めていった記憶があります。会場は「はんば亭」の造成工事中の現場内でした。

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テントは5張りで事足りました。花や野菜などの里の産品の直接対面販売は、この日が初めてのことでした。

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里の母ちゃん達も生き生きとして活躍してくれました。みんな若くてはつらつとしています。そして、きれいでしたね。

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霜月祭りの「ちんちゃこ」を披露。ちっちゃな子供は今大学生です。

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今ではすっかり里の重鎮となられた方たちも若いです。神聖なお祭りを出し物にするなんてと、当然当時の長老たちは後ろ向き。(そのとおりなのですが。)保存会が「後継者の育成と練習中のお披露目」として責任を持ち披露に至りました。

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飯田市山本から友情出演の「大塚太鼓」のメンバーのきれいなお姉さん方です。

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2回目の手造りのポスターです。初回に比べて、下栗牛の焼肉の企画や出演者が増えてきてイベントの形になってきました。

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近年の「天空の里」のブームで来訪者が増えました。この祭りなどを続けてきたことにより、後ろ向きだった里の人達が故郷を自信を持って「下栗」だよって言えるなんて、想像していませんでしたね。新宿駅で方言まる出しでしゃべっても平気。方言だなんて自覚がないので関係ないのですが(笑い)。

それじゃあこの辺で失礼します。「あばね」。( 次も会う事が前提のさようなら )